米田 透 短文集 2001年10月分

最終更新日: 2001年10月30日

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短文のタイトル一覧

横浜の寺の静寂秋暑し

秋の金曜あて名ラベルを作り貼る

日本シリーズヤクルト優勝うどん食う

家で書く出張報告秋の星

秋の風出勤するはわが仕事

これからの方向が見え紅葉山

初紅葉高原ホテル大浴場

霧深し長城行きのロープウェイ

仕事終え摩天楼秋マオタイ酒

鱸ふっくら燃える中国ビジネスマン

秋深し平穏無事の天安門

秋寒の旧満州の一夜かな

秋うらら上海語で言うありがとう

ピカピカの上海空港秋の空

くじ引きでスピーチ当り秋の宴

新しい出発準備秋夜中

秋暑しカットだけする床屋さ

秋雨や妻の車で出勤す

戻らない生活リズム秋の蝶

空爆のニュース秋雨降り続き

風に乗り小学校の運動会

すき焼きの和牛が終わりブーイング

具沢山ほうとうの後富有柿

家族分コーヒー作り秋の朝

月見団子土産に定時退勤す

慣れてきた新たな仕事十六夜

帰任してひと月が経ち雨の月

寺参り終えて横浜秋の雨

途中下車秋の横浜再探検

関内の秋同期四人で酒を飲み

海外に人送り出し秋の雲

秋めくや元の暮らしにやっと慣れ

共に住む子の誕生日秋桜


2001年10月27日(土)

横浜の寺の静寂秋暑し

横浜の土曜日の喧騒は快いものではありません。しかし、寺に一歩入り、宝前に座ると何とも言えない安らかな静寂があります。
我が家の夕食:野菜の揚げびたし、鰻の蒲焼、味噌汁、野沢菜。

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2001年10月26日(金)

秋の金曜あて名ラベルを作り貼る

一週間の公務が終わった後、俳句会のボランティアの時間を取ることができました。Microsoft Wordで作った名簿からあて名ラベルを差込印刷という機能を使って自動的に作成するのですが、一ヶ月ぶりにやるとすっかり操作を忘れていて手間取ります。
我が家の夕食:中華のテイクアウト。

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2001年10月25日(木)

日本シリーズヤクルト優勝うどん食う

我が家ではプロ野球のテレビ観戦をよくやりますが、今日ヤクルトが近鉄に勝って日本シリーズ優勝となりました。
我が家の夕食:水沢うどん。

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2001年10月24日(水)

家で書く出張報告秋の星

家にPCを持ち帰って海外出張報告をどうにか仕上げましたが、午前1時半となっていました。日本の会社は厳しい。
我が家の夕食:刺身盛り合わせ、煮びたし。

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2001年10月23日(火)

秋の風出勤するはわが仕事

10日間の過密スケジュールをどうやらこなし、いつもどおり出勤しました。Eメールがたまっており、中国出張の報告作成や旅費精算なども急がなければならない等あわただしい日でした。
我が家の夕食:チャーシューと葱の炒め物、卵焼き、ほうれん草。

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2001年10月22日(月)

これからの方向が見え紅葉山

午前中は句会。午後軽井沢から帰宅。雨となりました。
我が家の夕食:釜飯、握り寿司、牡蠣フライ、サラダ。

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2001年10月21日(日)

初紅葉高原ホテル大浴場

俳句の会の一日目。昼食の後各種表彰、講演、座談会など。夕食は大宴会場で、句集まつりに余興大会。
軽井沢一泊。

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2001年10月20日(土)

霧深し長城行きのロープウェイ

午前中、ロープウェイを使って万里の長城に登りました。もう一つ十三陵という観光地を見学し、午後帰国。
我が家の夕食:帰るのがおそくて何も残っていませんでした。

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2001年10月19日(金)

仕事終え摩天楼秋マオタイ酒

夕食は現地法人の社長が上海料理をご馳走してくれました。毒蛇の唐揚げや蛇の生き血なども出ました。5日間のビジネス日程を終え、同行者とホテルの最上階の回転レストランで食後酒を飲み、反省会を実施しました。
北京三泊目。

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2001年10月18日(木)

鱸ふっくら燃える中国ビジネスマン

昼食は訪問先の会社が北京ダックで有名なレストランに招待してくれました。これまで、北京ダックというのは皮だけと思っていましたが、肉もたっぷりついていました。食べきれないほどの量が出ましたが、中国ではこれが大事なお客をもてなすやりかただそうです。また、「乾杯」というと盃を干さないといけないようですが、「随意」というと全部一気に飲み干さなくてもよいそうです。夕食は、若いけれども業界では著名な中国人からビジネス・ディナーに招待され、クラブ制のレストランへ。中華料理が西洋風に一人ずつフルコースで運ばれてきました。通常は中国では丸テーブルの上に回転する丸い共用の料理置きスペースがあって、各自食べたいだけ取ってくる形式ですが、西洋人にはなじまないのでしょうか。
北京二泊目。

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2001年10月17日(水)

秋深し平穏無事の天安門

瀋陽のハイテクパークの企業を訪問した後北京へ移動。北京の市内観光を中国人の案内で行いました。中国では、男の人でも流暢な日本語をしゃべる人が多く、欧米と比べるとやはり日本と文化的に近い国なのだという気がします。中国は共産主義国で写真など撮ると取り上げられるような雰囲気かと思いましたが、国を挙げて観光客を歓迎しているように感じました。
北京一泊目。

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2001年10月16日(火)

秋寒の旧満州の一夜かな

瀋陽に着きましたが、空港は粗末な感じでやっと中国らしいところに来たという印象を持ちました。中国人の案内で東北料理の店に行き、ロバの肉、バイチューという強い酒等めずらしいものを飲食しました。恐怖のトイレ事情については、幸い一流ホテルに泊まったため問題ありませんでした。しかし、古い建物を訪問した時など、和式の水洗トイレもありましたが、便器の向きが日本と逆でした。洋式と同じように人は扉を向いてする訳です。また、使った紙を便器に流さない(詰ると困るので)というのが中国流で、奥の方にそれらしき紙の山がありました。
瀋陽泊。

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2001年10月15日(月)

秋うらら上海語で言うありがとう

宿泊していたホテルに付属しているレストランで夕食。スープが美味でした。中国ではスープの出る順番が料理の中頃のようです。上海では、「シェシェ」と言っても反応がありませんが、「シャヤノン」というとにっこり笑ってくれます。中国というところは言語が多数あるようです。
上海二泊目。

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2001年10月14日(日)

ピカピカの上海空港秋の空

初めての中国、まずは上海に到着。ピカピカの空港にびっくり。APEC開催間近だったので、ホテルが荷物とボディチェックをする等厳重な警戒がなされていました。午後から市内観光をしましたが、日本語の上手な店員のいる店で、お茶等売りつけられました。中国のタクシーの助手席と運転手の間に仕切りがあるのに驚きました。客が信用されていないのでしょうか。また、中国の電源プラグの形状は7種類あると聞き、7種類のアダプタを用意しましたが、コンセント自体がどんなプラグでもささるようになっており、なあーんだと思いました。ただし、場所によってはどんなことになるか予測が立ちません。中国は広いですから。なお、中国のホテルの鍵はカードになっていて、部屋に入ると電源のキーにもなります。部屋の外に出るには鍵カードを持って出る訳ですので、電気が無駄に入っていることがなくなります。
上海一泊目。

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2001年10月13日(土)

くじ引きでスピーチ当り秋の宴

朝から昼にかけて、同じ職場の男性の結婚式が新横浜でありました。スピーチを頼まれていなかったので、気軽にワインを飲んでいたら、新郎新婦が引いたくじが自分に当り、頭真っ白、何を言ったか覚えていません。その後新幹線で熱海まで行き同期会に出席。

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2001年10月12日(金)

新しい出発準備秋夜中

明日から10月22日まで10日間過密スケジュールとなります。中国出張の準備は今日中にしなければなりません。
我が家の夕食:うどんすき。

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2001年10月11日(木)

秋暑しカットだけする床屋さん

東陽町に出張しました。1000円という床屋があったので、やってもらいましたが、シャンプーなし、髭剃りなしですが、あとは完璧です。終わった後でバキュームクリーナーで切られた毛を吸い込むので痒くなることもありませんでした。耳の中の毛を切るツールもあって、感心しました。
我が家の夕食:チャーシューと葱の炒め物、卵焼き、ほうれん草。

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2001年10月10日(水)

秋雨や妻の車で出勤す

朝から大雨のため、妻が地下鉄の駅まで車で送ってくれました。自分で車を運転しない生活となってしまいましたが、どこかで運転を始めるのでしょうか。
我が家の夕食:鮪すき身、かぶ煮物、納豆、味噌汁。

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2001年10月9日(火)

戻らない生活リズム秋の蝶

日本はフランスに比べると祝日が多く土日を含めて3連休というケースも多いようです。帰国して1か月以上経ちましたが、まだ生活のリズムが自分の納得するものになっておらず、不本意ながらやっている、といった感じです。
我が家の夕食:豆腐入り鶏水炊き。

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2001年10月8日(月)

空爆のニュース秋雨降り続き

体育の日で日本は祝日でしたがあいにくと冷たい雨が降り続きました。朝のテレビニュースはアフガニスタンのタリバン軍事施設への米英の空爆開始でした。
我が家の夕食:餃子、味噌汁。

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2001年10月7日(日)

風に乗り小学校の運動会

自宅から地下鉄の駅に行く途中に小学校のそばを通りますが、今日は町内会対抗の運動会が行われていました。上大岡の京急デパートの8階にあるヨドバシカメラにPCの周辺機器や紙類等を買いに行きました。長女が欲しいと言っていた米語キーボード、俳句会のためのラベル用紙、自分のPCのバックアップソリューションのためのMOドライブとMOディスクなどですが、秋葉原に行かなくても良いようになったので助かります。

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2001年10月6日(土)

すき焼きの和牛が終わりブーイング

妻の留守に、すき焼き用の材料を仕入れに行きました。長葱、椎茸、えのきだけ、しらたき、焼き豆腐、卵、牛肉などを買いました。牛肉は既に買ってあったので、予備用でしたが、あまりの単価差に驚いて、和牛でなくオーストラリア産のものにしました。さて、和牛から食べ始めて、オーストラリア産の肉に変わった途端、家族の箸が止まりました。やはりすき焼きは和牛に限るようです。

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2001年10月5日(金)

具沢山ほうとうの後富有柿

夕食はほうとう。この季節初めての土鍋の登場です。そして、デザートに柿というのは日本的です。

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2001年10月4日(木)

家族分コーヒー作り秋の朝

昨日買ったコーヒー豆(キリマンジェロ)で、朝コーヒーを作りました。フランスとは違い会社ではコーヒー一辺倒ではないので、挽いた豆でいれたコーヒーがやはり恋しくなりました。小型ではありますが、コーヒーメーカーが家にありましたので、使うことにしました。

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2001年10月3日(水)

月見団子土産に定時退勤す

今日は定時退勤日で、労働組合の職場見回りがありました。定時退勤、年次有給休暇完全消化が当たり前の国から帰ってきてみると、日本の会社はやはりどこかおかしい気がします。寄り道をしてスーパーで食料品を買って帰りました。フランスにいた時と生活ががらっと変わり、自分で食料を買わなくなりましたが、たまには自分で選んでみたい気もします。味醂干し、コーヒー豆、月見団子と草餅、いなり寿司など気の向くまま買いました。

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2001年10月2日(火)

慣れてきた新たな仕事十六夜

大森に出張の後、田町に移動、駅前がすっかり変わっているのに驚きました。2階のスペースが拡張されて道路を覆っていました。帰りに品川駅で乗り換えてまたびっくり、駅構内が見違えるようにリフォームされていました。帰宅後家族そろって夕食、陰暦8月16日の月が明るく出ていました。

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2001年10月1日(月)

帰任してひと月が経ち雨の月

帰任前の日本は水不足で悩んでいたとか、帰任後は雨がよく降ります。傘を持たずに出て降られてしまったので、駅の売店でしっかりした大きめの傘を買いました。会社の期首全体朝礼も玄関前ではなく、構内放送になりました。今夜は陰暦8月15日の名月を期待したのですが、雨で見ることはできませんでした。

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2001年9月30日(日)

寺参り終えて横浜秋の雨

帰任してからの生活の立ち上げがひと段落したので、横浜にできた新しい仏舎にお参りに行きました。帰りに上大岡に寄り、個人用携帯電話を購入しました。思い切って、iアプリ対応の最新の機種にしました。フランスのミニテルの携帯版のようなものでしょうか。

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2001年9月29日(土)

途中下車秋の横浜再探検

立川に行く予定で電車に乗ったのですが、気が変わって横浜で途中下車してしまいました。うろ覚えで新しい仏舎を探しましたが、住所を控えておかなかったのが敗因で、みつかりませんでした。本屋で大きな字のポケット地図帳を買って帰りました。

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2001年9月28日(金)

関内の秋同期四人で酒を飲み

午前中大森に出張。中国人のご一行様への説明会に参加。英語というのは役に立たないようです。中国語をしゃべらないと商売にはならないという感じがしました。夕方、会社の同期入社の仲間から呼び出しがあり、関内の日本料理店で旧交を温めました。

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2001年9月27日(木)

海外に人送り出し秋の雲

これからシンガポールに赴任する人とランチ。1年間と言われているとのこと。

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2001年9月26日(水)

秋めくや元の暮らしにやっと慣れ

ようやく日本での生活にも慣れましたが、すべてが変わってしまったので、とまどうことが多いのが実情です。車で10分間の楽な通勤をしていたのが、徒歩と地下鉄合計30分間の通勤になりました。一人きりの生活から、常に家族のいる団体生活に変わりました。パンと紅茶の朝食からご飯と味噌汁の朝食に変わりました。

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2001年9月25日(火)

共に住む子の誕生日秋桜

娘の22歳の誕生日。プレゼントは帰国時に高価な土産を買ってきたので許してもらました。

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以上