米田 透 短文集 2000年5月分

最終更新日: 2000年5月13日

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短文のタイトル一覧

メーデーが祭日の国和書を読み

進みゆく市電の工事藤の花

憲法記念日ネットで税を納めけり

困難な資料作りに初冷房

パリ五月セイジ・オザワのコンサート

金雀枝や土曜の出勤カジュアルに

雷雨来るジャンヌダルクの前夜祭

ポケモンの風船ジャンヌダルク祭

五月はや野外昼食始まりて

先客は尺取虫なり外の卓

ロワールの旅を計画若葉風

フランス語の「刑事コロンボ」初夏の宵


2000年5月1日(月)

メーデーが祭日の国和書を読み

フランスでは、5月1日メーデーは祭日です。国が変われば祭日が変わりますが、全世界の祭日を教えてくれるすばらしいWEBサイト
世界の祝祭日があります。海外で日曜・祭日に店がほとんど閉まってしまうというのは日本人にとって一つのカルチャーショックです。出張・旅行で海外にお出かけになる方は、現地の祭日をチェックされることをお勧めします。特に要注意なのは、年によって日付の変わる、キリスト教の関係の復活祭(春分後最初の満月の次の日曜日)、キリスト昇天祭(復活祭後39日目の木曜日)、聖霊降臨祭(復活祭後49日目の日曜日)です。フランスでは、復活祭と聖霊降臨祭の次の月曜日が祭日になりますが、前の金曜日が祭日になる国(英国等)もあります。


2000年5月2日(火)

進みゆく市電の工事藤の花

フランスのオルレアン市では、これまで市内公共交通をバスで運営してきましたが、市電を開設する計画が着々と進んで今は町中で工事をやっています。この市電が開業すると、車による大気汚染や交通渋滞緩和になるのでしょうか。これまで旅行したドイツのデュッセルドルフやイタリアのミラノにも市電があったことを思い出します。


2000年5月3日(水)

憲法記念日ネットで税を納めけり

5月3日は日本では憲法記念日とされていますが、フランスでは木曜日でしたので出勤しました。さて、日本人出向社員と言えども現地で給与をもらっている以上は、所得税等の税金を納める必要があります。最近はインターネットで役所のホームページをアクセスして税金を納めることができるので、便利になりました。基本的に小切手社会なので、納税についても納税書類にサインして郵便で送り返すのが伝統的なやり方ですが、一度受け取っていないと言われて追徴金を課せられそうになった経験があるので、信用できません。インターネットで支払って、証明書を印刷して取引銀行に送っておくのが安全です。


2000年5月4日(木)

困難な資料作りに初冷房

フランスは緯度から言うと意外に北に位置しており、パリの緯度はサハリンの南端と同じと聞いています。その割に夏は日が照ると室内は暑くなり、やはり冷房がほしくなります。今年は5月4日に早くも冷房を入れて仕事をしました。やはり能率が上がります。


2000年5月5日(金)

パリ五月セイジ・オザワのコンサート

フランスのテレビ番組を見ていたら、偶然にオザワ・セイジさんが指揮をするコンサートが始まりました。エッフェル塔付近に設置された特設の大会場で、テノール独唱、ベートーベン交響曲第九の四楽章(合唱)、ヨハンシュトラウスのワルツ、シャンソン輪唱、ラデツキー行進曲など、さわやかに時が過ぎて行きました。オザワ・セイジさんの説明は通訳なしのフランス語でした。日本人という印象は全くなく、フランス人は世界のオザワを自然に受け入れ、楽しんでいました。


2000年5月6日(土)

金雀枝や土曜の出勤カジュアルに

オルレアン近郊にある私の勤めている会社の門の近くの道に沿い、何百メートルかにわたって金雀枝(えにしだ)が黄色い花を咲かせていました。街路樹もすっかり緑色の葉をつけてこの地方はこれからが一番きれいな時期になります。


2000年5月7日(日)

雷雨来るジャンヌダルクの前夜祭

5月8は、フランスは休日(第二次世界大戦戦勝記念日)でオルレアンではジャンヌダルク祭があります。その前夜に強い雷雨がありました。ジャンヌダルクの裁判の映画がテレビで放映されていたときに雷鳴が轟き、火あぶりになったジャンヌの霊の安らかなることを思わざるをえませんでした。


2000年5月8日(月)

ポケモンの風船ジャンヌダルク祭

ジャンヌダルク祭のパレードに今年選ばれたミス・ジャンヌダルクが出場するのは午後と決まっていますので、午後オルレアンの中心に歩いていきました。今年はミッキーマウスよりポケモン(キャラクタはピカチュウ一本槍)の風船が圧倒的に多いのに驚きました。パレードには最初戦車隊が出たり、軍用機が大聖堂の上を編隊飛行したりして始まりましたが、色々なマーチングバンドや趣味の団体(例:居合道・剣道、サイクリング、、、)等よくこれだけ出るなと思うほど出ました。日本からは、オルレアン市と姉妹都市になっている宇都宮市の高校のマーチングバンドがハッピ姿で出場していました。今年選ばれたミス・ジャンヌダルクは鎧を着て旗を左手に掲げて馬上の行進をしました。可愛らしい人でした。ミス・オルレアンというたすきをかけた美女が3人行進していましたが、恐らくミス・ジャンヌダルクになれなかった人達だと思います。お祭にはつき物の屋台が出てパンや風船や綿飴などを売っていましたが、綿飴というのはひょっとしたら元は西洋のものだったのかな、と思いました。


2000年5月9日(火)

五月はや野外昼食始まりて

フランス人は野外で食事をするのが好きですが、ある一定の温度が必要です。五月上旬にしてはめずらしく暖かくなり、会社の食堂が閑散としていたので皆休暇を取って会社に出てこないかと考えていたら、何のことはない、大勢が昼食を野外に持ち出して食べているではありませんか。


2000年5月10日(水)

先客は尺取虫なり外の卓

会社での話です。今日は日本人も外で昼食を食べようではないかということで、木陰にある分厚い木製のテーブルのところに行ったら、生まれたばかりの細く小さい尺取虫が盛んに尺を取っていました。木の葉を食用とする害虫で、成虫は尺蛾になると言いますが、むやみな殺生は気がとがめるので、相席とさせてもらいました。ただし、食事が終わってオフィスに引上げる時にどうも首筋等が刺激されると思ったら、ニ三匹に取り付かれていました。


2000年5月11日(木)

ロワールの旅を計画若葉風

五月下旬から六月初めにかけて日本からまとまった人数の来客が2回に分けてありますので、移動の手段を確保しようとして、9人ないし7人のツアーを計画しました。シノン(1429年ジャンヌダルクがシャルル7世に会って兵を与えられた城があるので有名)、ユッセ城(「眠れる森の美女」の舞台と言い伝えられている)、シュノンソー城(1547年に王位についたアンリ2世の愛人ディアーヌ・ド・ポアチエと妃のカトリーヌ・ド・メディシスの女の戦いで有名な美しい城)など城廻りを1日計画しました。もう1日は、ロワール河を東方に遡り、陶器で有名なジアン、およびその近くにあるブリアールの運河橋(ロワール河を跨ぐ橋に水がはってあり、そこを船が通るという想像しにくい景色が見られます)まで行く計画にしました。こういう計画を知らせると、人数に応じて料金を決めて運転手付きの車を用意してくれる会社があります。


2000年5月12日(金)

フランス語の「刑事コロンボ」初夏の宵

フランスのテレビは番組制作を効率よくやるために、米国の人気テレビドラマをフランス語にして放映することが多いようです。「刑事コロンボ」もその一つですし、「Xファイル」なども放映されています。映画も同様ですが、有料のCANAL+では、オリジナル音声とフランス語と日を変えてやっています。日本の映画は字幕スーパーで放映されることが多いです。やっぱり文字だけの方がコストが安いのでしょうね。フランスもドイツも結局は一般庶民レベルでは英語は無理だということのようです。ただし、オランダあたりになると、コストの面でオランダ語訳をやっていられないので、英語の番組が直に入ってくると聞きました。それでオランダ人は英語がうまいんだ、決して学校教育の結果ではない、と知り合いのオランダ人が言っていました。


以上